景徳鎮監督日記

伝統景徳鎮ハイエンド世界の日本人監督のあれこれ

半年のマイセン使用

半年ほどマイセンを使用続けました。
マイセンの中でも、とりわけ「素材や焼成の優れた生産期のものに拘ってお茶を飲み続けました。
実は、マイセンから本景徳鎮に乗り換える方々の「体感」を「追体験」すべく長年使い慣れ過ぎた本景徳鎮からしばらくの間距離を置いてマイセンの味に身体を慣れさせました。

マイセンはデパートでも買える現行生産の磁器の中でお茶のスペックをそれほど下げないもっともベターなものです。ベストと言わないのは、もう少しよく作れる余白があるからです。しかし、それでもお茶のポテンシャルを引き出すところまでは現行マイセンでは無理なのです。それはマイセンの追求してきた美意識とそれに基づく現代工法によるものです。

さて、マイセンにすっかり慣れた味覚で久しぶりに本景徳鎮のポットと茶杯で飲んだのは、量産廉価なアッサム茶でした。安売り輸入食材店で缶入りで売ってる物です。

アッサムは19世紀の焼成のよい英国磁器で飲んだ経験のない人は強烈な渋みとえぐみ、主にタンニンと窒素肥料味の影響を感じるわけですが、それゆえチャイやミルクティーが推奨されたりもします。俗にいうワイン由来の言語概念評価のボディとかある人たちはパンチという言い方でごまかしてきましたが、茶葉本来の滋味だとか覚醒作用とは無縁の、まるで食材の味を忘れた激辛がエスカレートしていくような理解が進んでしまって、渋くなければアッサム茶じゃないような論調に、では?アッサム種のよさとは、アッサム地方の茶であるべき特性とは何だろうと常々疑問に思っていました。本来アッサムはストレートで飲みたくなる濃厚なお茶で、爽やかな渋みと余韻ある甘みがマッチして香りは違うけれどビターなチョコでも食べたようなコクの充実感のあるお茶のはずでした。それがどこから一体口中に後を引く渋みとえぐみの多い棘のあるお茶になったかと言うと、実は茶器の性格が近代量産化の波で20世紀以降に急激に変わってきたことに由来します。
日本では大正世代まで作り手に認識のあったことが戦後に継承されませんでした。戦争で多くの人材を失い、バブル時代に銀行が多くのメーカーに融資を持ち掛け量産設備を取り入れ、親や老職人を締めだした流れがそれを引導を渡すように決定的な物にしました。
孫世代やひ孫世代では知る由もない歴史です。

さて前置きが長くなりましたがようやく本景徳鎮で飲んだ廉価なアッサム茶の印象に移ります。

一言で言うと渋みが後退して甘みがでてきます。雲南省の高級な紅茶に近い系統の味に感じます。
もともと同じ系統の茶葉で、気候風土が近いところのお茶なので当然なのですが、過剰な渋みと雑味が奥に消えてコクと甘みがバランスを整えてきます。非常に安物と思えない充実したお茶に復元されます。ストレートでのど越しよく体に素直に染みていきます。鮮度も感じます。

現代の茶器はほとんどが茶葉のバランスを出し切りません。
必ず釉薬表面から熱で立ち上げる匂いや(香りではない)渋みや甘みを誇張して殺してしまう部分が出てきます。
英国のマナハウスのような歴史ある屋敷で代々使われた茶器でも保有しない限りは私達は近代的な量産工法の品で100年も過ごしてきています。
分からなくなってきている部分、失われた価値観というのが実は多いのです。
 
思い出してください、景徳鎮は歴代皇帝の器であったことを。
学問に優れ、味覚を追求し、凝り性な清朝文化の総仕上げがハイエンドな景徳鎮だったのです。
お茶や料理が少しでも美味しくないということは命取りです。その中で選択、研ぎ澄まされてきたものにはそれなりの理由と利点があるものです。

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茶器として焼成環境と素材のよかったロットのマイセン