国際景徳鎮試験場

会員おしらせ

理由なく好きな物

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Henry Purcell

接した瞬間、はっとして魅力に惹きつけられ取り込まれるものがある。

ウィローの研究からそれを享受した英国人の文化に関心を持ち始めたが、

難関は英語。

宮城時代、中学一年で英数塾の先生に怪我をするほど制裁を加えられトラウマになって勉強に手が付けられなく。今だから何でも情報があるが、当時は心的外傷なんて知らないので、教育の一環、宮城では普通なので、流血しながらじっと我慢し続けた。

先生は海軍の精神棒とか言って棒に赤いマジックで血まで塗って、精神棒と書道風にマジックで文字まで入れて散々ぶん殴って、塾が終わると私だけ残されて、今度はげんこつで頭の皮が切れるまで殴られた。

理由は「a」と「the」の使い方の説明を先生が出来ないことにあって、丸覚しないのは精神がたるんでるということであった。

数学も何秒以内に答えないと殴られた。

暴力になれない家庭の育ちだったので、地元の子たちとは違うショックを受けて急激に成績が落ちて英数嫌いに。

当時塾の先生は経営がうまくいかず、やめる子供が多くてストレスが溜まっており、もともと教えることがうまくない人だったらしく、宿題の採点ばかりで時間を潰していた。

私もすぐやめるべきだったが、地域の子が皆そこに行く上に一種の同調圧力があってやめられなかった。今の私からは想像がつかないが、昔はそう言った同調圧力に簡単に負けていた。

当時宮城の先生は仙台の榴ヶ岡連隊、陸軍歩兵第四連隊や海軍の影響を受けた先生、または軍国少年上りが多くて、小学生でも流血の制裁が普通だった。

とりわけ母子家庭や、経済力の無い家庭の子供は見せしめに厳しく制裁された。

同調圧力や校内暴力も全国ニュースに出るほど荒んで、全学年の関わる万引き転売事件まで起こった。警察が学校に来て関係する級友が呼び出され、私と肥溜めに落ちて村八分されていた女の子と二人だけ教室で自習した記憶まである。

つい最近まで英語を見ると手汗が出て頭が混乱してパニックに陥った。

受験社会でどれだけ不利だったか想像できるだろうか。

語学が苦手というわけでもなく、とにかく英語なのであった。

ところが最近、この英語が平気になった。

暴力の思い出よりも、美しいものに触れた感動からの英国とその文化への関心が勝った瞬間に、何か転換点を迎えたのだろうか、それとも年齢で少しボケてきたのか。

無性に英国の美しいものへ触れたい欲求に駆られるようになった。

まったく、理由も何もない、ただひたすら心を動かされるものに出会った喜びにあふれている。

専攻の中国のものより実は自分はこっちの方が好きだったのではないかと。

今はパーセルダウランドの音楽に浸っている。

朝から晩まで眠る時間4時間以外聴きっぱなし。

イングリッシュギターかリュートの先生を探そうかと思っている。

文学や絵画も外せない。

病膏肓に入って景徳鎮に関わり30年。

漢詩を作り古琴を弾きしてきたが

残りの人生は英国になるのではないかと思い始めた。

理由はないが、とにかく好きなのである。